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中国遠征第3話・理唐~四姑娘山

中国遠征第3話・理唐~四姑娘山05/10/9~11

<メンバー>
 隊長・青木茂 登攀隊長・井口功 登攀サブ・植松 隊員・関秀倫・高木直幸・伊藤陽一郎・橋本誠

<留守本部>
 山梨学院大学・渡部壮一

10月9日(日) 天候 晴れ

ゆうべは夜遅く理唐に着いた。理唐では来た時と同じホテル、高城酒販に泊まる事が出来た。
トウさんとファンさんは、我々が山に入っている間、ここ理唐に滞在していた。
故においしい食堂を見つけたといい、我々はそこに行く事にした。
そこは、成都より来て、小さな食堂を開いていると言う若夫婦のお店だった。
若夫婦は、ここ理唐で稼いで、いずれは成都に戻り、大きなお店を出したいと言う。
ここではおいしい餃子と鍋を食べた。ファンさんの言う通り、物凄くおいしかった。

翌日の朝は、昨夜遅かったのと、今日は雅江(やーじゃん)に戻るだけなのでゆっくりだ。
今朝も昨夜の若夫婦のお店に向かった。と、店の前に最高級パジェロ3台が止まっていた。
それはイギリス隊の物であった。話を戻さなければいけない・・・

我々の隊長青木さんは、過去2回この地(四川)を訪れている事は冒頭で述べた。
ここ、理唐より北に500km余り行った所に甘攻(カンゼ)と言う町がある。
ここに'カワロリ'と言う独立峰の未踏峰があるのだ。
ここを日本ヒマラヤ協会の中村さん等に紹介され、2度の偵察に来ていたのだ。
'カワロリ'5,992m。青木さん等の写真を見る限りでは秀峰である。
我々は、今回この探査の以前の計画は、当然の如く'カワロリ山'攻略であった。
しかし、何度目かの打ち合わせ時にこんな手紙が青木隊長の元に届いた。
それは英国ヒマラヤ協会からであった。
内容はざっとこんな感じである。
「我々英隊は'カワロリ山'登山を正式に中国登山協会に申請した、よって、未だ申請を行なっていない
日本隊は今回は見合わせるべきであり遠慮して欲しい・・・」と。
これには、青木さんは元より中村保さんも面食らい、抗議しようと、だが、そこはみな冷静になり、
我々はこの山を研究していけばしていくほど、トータル日数の少なさ、学生等の経験不足、
山の難易度の高さ、等々、と同時に中村さんより、英隊と同時期に競い張り合うより、
未だ、世界に写真の無い地域がある、そこに転進してはどうか?
今回の旅のいきさつはざっとこんな感じであったのだ。
その英隊が目の前にいる。
当然、李慶さんは、仲間のガイドが英隊に付き添っているので急ぎ確認をした。
答えは、英隊は登れなかった!なぜ?高僧ラマ(チベット族の坊さん)等の猛反対にあったそうだ。
しかし、英隊は中国が許可している、金も払っている、だからとこちらも強引に出た所、
ライフルと刀を持った原住民に囲まれたそうだ。
基本的にチベット族は秀峰であればあるほど、聖なる山と日夜崇めている。
その頂を踏む?しかも異国人が踏む、嫌うどころではない!未だカイラスしかり、梅里雪山しかりである。
では、数々の峰々が落とされて来たのは?
金である。それがすべてではないのだけれど、一言で言えばそうであろう。
理唐を走り去る毛唐が沢山載ったパジェロを、我々は複雑思い出見送った・・・

さて、我々は若夫婦の経営しているお店に入った。
肉まんを中心にした朝食は物凄くおいしかった。
この陽気な若夫婦、いずれは成都にて成功してほしいものである。

理唐の町を去って、また長い車の旅が始まった。
4,000mの峠では来た時には無かった雪景色が我々を迎えてくれた。

峠の彼方は白い世界

4,000m級の峠をトラクターで越えます

そんな峠を爆音立てながら、トラクターで越える民族に、またまたたくましさを感じた。
谷に降りたり、4,000m級の峠を3つほど越え、グングン下がって、今夜の宿泊地、雅江に着いた。

チョルテンはいたる所にあります
雅江の町に帰ってきました

雅江では来た時に泊まったホテルがいっぱいであり、我々は、最高級ホテルに泊まることとなった。
李慶さんの出費が心配である。と言うのも、我々は、成都到着のおり、
李慶さんに一切合切のお金(元々言われていた金)を預けてこの旅をしている。
僕等が個人で日本円を持っている以外は、李慶さんより各個人配られた100元のみである。
故に、李慶さんは、我々が極端にいやがらなければ、安いホテル泊まれば泊まるほど、
李慶さん達のもうけになるのである。
このホテルの高級ぶりはまさに凄く、中庭の駐車場は泊り客の高級車ばかりであり、
高額なお布施で食っているお金持ちの坊さんや、沿岸大都会の超金持漢族等が宿泊している事は間違いなく、
大きなロビーにはダマイラマの弟の集団が泊まったという写真が飾られている。
とにもかくにもうれしい事に、おかげでシャワーが使えるのではあったが。
早く着いたので、雅江の市街見物となった。
狭い谷に大きなビルが立ち並び、更にあちらこちらでホテル建設なのであろう工事が行なわれている。
ここ雅江まで戻ってくると、町を歩いているチベット民族のおばちゃん達のおしゃれにも気づく。
夕飯はラーメン屋に入った。面食い党の僕はラーメンと聞いただけでも小躍りしてしまう。
しかし、出されたラーメンと言うものは日本的ラーメンとは程遠く、煮込み冷麦であり、
それが極端に辛いか、薄味か、であり少々ガッカリゲンナリであり、
やはりここでも飲むしかないのであった。

10月10日(月) 天候 晴れ

このまま、成都に戻るには日数が余りあまってしまう。
北周りで凄い山を見せてやると李慶さん、楽しみである。
雅江から進路を北にとり、草原地帯の穏やかな景色が続く、そして、観光地である塔公寺に到着した。
青木隊長がしきりに感心している。と言うのも青木さんは、以前の旅でもここは訪れており、
その発展ぶりが物凄い勢いだと言う。

塔公寺
ここにXXすると罰金!

この町で昼食を食べ、この町を去るため、町の端を曲がると目の前に大きな山がいきなり望めた。
それがアラシン?イヤラシン?イヤラシイ山であるのだそうだ。

塔公寺からアラシン山?

手前が山梨でたとえるなら御坂山塊で、の奥に富士山とでもいいましょうか、
よりも何よりもスケールは相当でかいですね。
草原地帯を数時間走り、やがて車は峠を越えて行くと
今度はラテン系の若い二人のチャリ組を追い越した。
そして、ある谷に降りて行くと、右前方に凄い山が現れた。
凄い雪山だ!これが先ほど塔公寺で見たアラシン山の別方向の姿だ。

アラシン山・未踏峰

この山は未だ未踏なのだが、なんと!李慶さんは挑戦したそうだ。
李慶さんが話すのには、この谷奥までポーターを雇い、BCを張り、
正面の稜線を上がって左のピークまでは立った。
しかし、時間切れ、及び、4kmはないが、相当鋭く長いナイフエッジにあきらめたと。
しかし、凄い山である。秀峰である。いやはや・・・
と、ラテン系の先程の若者二人が追い着いて来た。
彼等も当然のように山を見ては歓声を上げている。
やがて、彼等とうちの若い連中が話しをしだしていた。
詳しくはわからないのだが、まとめると、どうも彼等はイタリアの軍人で、
長期休暇を利用してこの辺りを旅しているのだそうだ。
荷物が少ないのは町から町のホテル住まいの旅だそうだ。
アラシン山を後に車は狭い谷をグングン下る。
この谷狭さと、両岸の絶壁は凄く、落が来たらひとたまりもないだろう。
そして、暗くなる頃、我々は、またまた狭い谷の中の大きな町に到着した。
そう、そこが、美人の町'丹巴'(タンパ)であった。

丹巴の町1
丹巴の町2

ホテルに入り、夜の丹巴を散策する。
ここまで来ると、標高が低いのだろう、風も暖かく感じる。
今宵も飲んで、丹巴哲郎でーす!調子づいてしまうのだ。

10月11日(火) 天候 快晴

夜に到着していたからわからなかったが、ここ丹巴も狭い谷に大きな町である。
目の前の川は濁流化していて、その水の多さに圧倒される。この川はどこにたどり着くのだろうか?
こんな大陸の山奥でこの水量である。聞けば、最後は長江にたどり着くのだと言う。
そのスケールの大きさに思わずため息が出てしまう。
ここ丹巴県は大金川・小金川と名があるように、その昔、多くの金を産出した所でもあり、
その金をめぐり、多くのチベット民族の融合化が進み、文化も繁栄し、最高な採金採出技術をも持っていて、
また、ある時代には女性が王位に立った時代もあったそうで、ここいら一帯を女王谷と言うそうだ。
別名美人谷・唐の時代7XX~9XX年の歴史書に東女国の名もしっかりと刻まれている。
そんな谷の見学に、大きな川の谷を離れ、李慶さんは寄り道をしてくれる。

女王谷の遺産1
女王谷の遺産2

王谷の遺産3

石積みの狼煙台or見張台がいたるところ残っている。
ここは今現在、世界遺産登録申請中だそうだ。
今一度丹巴の町に戻り、車は更に北に向かい、川沿いに沿って西に延々と走りこむ。
やがて、近代的な大きなホテルが乱立、いかにも最近出来たばかりの町に到着した。
そう、ここが、四姑娘山(スークニアン)のふもとの'リヨン'?すいません漢字出ません。
リヨンの町で、なんと!この町、聞けば、極端だけど、李慶さんが作った町だそうです。
なのでここでは李慶さんは英雄であり、李慶さんを知らない人はいないといいます。
この話はこうです。
李慶さんが若い頃、四姑娘山に憧れ、この村にテントを張り、長期滞在した時の事です。
当時、村は数軒しかなく、ある時テントに戻るとある物が盗まれていました。
当時から連絡管である李慶さん、村人集め、犯人差出を要求したところ、10歳のガキだったそうです。
正直に名乗り出、悪意の無い事がわかり、李慶さんは、村人全員に諭したそうです。
この村は今後、恐ろしく発展する。漢民族の資本が入り宿ができる。
町は大きくなる、そして、あなた方も働き裕福になれる、だから今後一切盗みはするな。
約束する、町を造ると・・・あなた方も約束しなさい・・・
そして、李慶さんは約束を守り、村も大きく発展し、李慶さんはこの村の恩人となったのだ。
「まだまだホテル作ってますね・・・」と俺、「あと、3倍は大きくなるね、この町・・・」
と李慶さん「李慶さんも大変ですね・・・」二人で大笑いした次第である。
天気がよいので、昼食食べて、その'スークニアン'を見に行った。
あっ、はははっ!スゲ-や!こりゃスゲ-や!
これが!四姑娘山!カー!スゲ-や!

四姑娘山!6,250m

一大観光地となるわけである。
このスークニアン、初登はなんと!日本人。同士社大学が落としたそうです。
ここでは内容は割愛しますね。
ただ李慶さんもこの遠征隊に半年付き合った事は付け加えときましょう。
山頂の雲が吹き飛ぶのを時間があるのでゆっくりと待つ。
待つ間も大型バスが到着すると沿岸漢民族のお金持ち集団がぞろぞろ降りてきて、
首からカメラやビデオを吊るし、山見てはぎゃ-ぎゃ-騒ぎ、うるせいのなんの!
んで、俺に写真を撮ってくれとカメラを渡され、メーカー見るとビックリ!
キャノン・パナソニック・ソニーetc・・・しかも最新モデルやんの!
おまんらは・・・やめときましょう。
去れば、また静かさ戻り、みんなで山を眺める。
李慶さんが、ブランデーを取り出して飲み始めた。
当然、俺にも回ってくる。心地よい酔いが回りはじめた・・・
凄い山があったものである・・・

Next See You Again!!! 舞台は最終章・双橋溝へ
 
植松一好

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